2012年09月17日
トリーター:伊藤

研究するべき?しないべき?


改まって何ですが、私は水族館職員(≒学芸員)は研究者の一種だと思っています。
たくさんある使命の一つが、研究。
その定義は時代により、環境により、人それぞれだと思っていますが、今の私にとっては、
「新しい事実や、あまり知られていない知識を世の中に送り出すことで、何かの発展の役に立つ状態にする」
という感じです。
世に送り出すとはズバリ、論文や本として世に送り出すことです。
いくらすごい成果でも、声高に叫んでいるだけではすぐに立ち消えてしまいますし、それがホントのことなのか疑わしいです。
さらに、世に送り出すことなく成果を頭の中だけに留めておくことは「研究」ではなく、「勉強」だと思っています。
何よりその方がいなくなってしまえば、頭の中にあった貴重な情報は全て失われてしまいます。

その点、論文にしておけば、文章や画として何百年も残ります。
すぐにはみなさまの目に止まらなくても、それを見た他の研究者が引用したり、本や番組を作る時の参考としてくれることで、じわじわと、しかし確実に世に浸透してくれます(と信じたいです・・・ )。

先日、ある会議で学芸員の研究はどうあるべきか、みたいな議題があがりました。
意見はざっくり以下のような感じ。

「研究するのは当たり前!がんばって論文にしよう!」
「頑張らなくちゃ!でも何をどうすればいいのだろ。卒論は遠い昔だし・・・」
「論文もよいけど、本とか展示で成果を出せば十分では?その方が水族館の発展に直接役立つのじゃ?」

私の考えは一つ目に近いですが、これを他の人全員に当てはめられるのは難しいとも思っています。
実は、多くの研究者にとって研究は「使命」ではありますが「業務上の義務」にはなっていないからです。

ご想像ください。
みんなが「研究やらなくちゃ」といって、生物の世話やショーをせずに机で腕組みしていては、水族館が立ち行きません。
ですから、多くの学芸員にとって研究は、お休みを利用して仕上げたり、通勤中に頭の中で知恵をひねったりするのが現状だといえます。

でも最近、これでも恵まれてるかも?と思うことも。
大学や、試験場に勤める知り合いと話していると、意外にも研究に割ける時間は僅かだといいます。
授業や委託業務の合間を縫ったり、早起きしたり夜なべをしたりして、ガッツで研究をしているのです。
水族館では展示飼育のついでにデータを得たり、採集の時に新発見をする機会があるので、そういう点は大事にしなくてはと感じています。

私が年老いて、いつかはいなくなった後も、我が子同然の「論文」たちがじんわり光続けてくれたら良いなあ、なんてことを敬老の日に考えていた次第です。
長文へのお付き合いありがとうございます。

研究発表

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