2010年12月03日
トリーター:足立

流れ星の残像 その 6


~フジテレビ月9ドラマ「流れ星」放映中 新江ノ島水族館が主人公の勤務先という設定になっています~

涼太が死んでしまった。

生 → 死への変化を食い止めようとする神谷たち。
登場人物たちの会話が聞こえてくるわけでもなく、ただコブクロの「流星」が流れる中、テレビドラマの中でよく見かける、病院で人が死んでゆく一連の光景がくりひろげられた。
神谷が心臓マッサージの手を止め、涼太の家族に頭を下げたところで、空気が変わる。

涼太は、肝臓移植のための、脳死ドナーを待っていた。
しかし、間に合わず、心臓が止まって死んでしまった。

「脳死」と「心臓死」
「脳死」は「死」なのか。

いったい、生 → 死は、瞬間のできごとなのだろうか。
時間経過を伴うものだとしたら、死に始めはいつ?
生きものはみな、生まれた瞬間から確実に、「死」に向かって生きていくってこと?
ぎょっ!それなら、「生きること」=「死ぬこと」??

「死」を定義するのは、まだまだ難しい。

「クラゲは死んだらどうなるんですか?」と質問されることがよくある。
脳も心臓も持たないクラゲには、「脳死」も「心臓死」もない。パシッと、ここで死んだ、という瞬間がよくわからない。生と死の境界線はかなり曖昧な感じがする。

質問にはこんな感じに答えている。
「だんだん体の形が保てなくなって、足が取れたり、傘に穴があいたりして、そのうち底に沈んで、溶けてしまいます。」

「死に方」=「生き方」か。
クラゲも、涼太も、カッコイイ。

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[ 流れ星の残像 その 5 ]
[ 流れ星の残像 その 4 ]
[ 流れ星の残像 その 3 ]
[ 流れ星の残像 その 2 ]
[ 流れ星の残像 その 1 ]

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