神奈川県から新水族館構想が提示されたことがきっかけとなり 1997年、当館主催による国際水族館シンポジウム「湘南・相模湾の水族館21世紀に向けて」を開催、世界各国より 600名の方が参加されました。
シンポジウムのテーマは「水族館の役割」でありましたが、湘南海岸の多面的な利用が計画されている中で、人と海との交流、地球環境保全の役割など、課題は幅広いものでした。
パネルディスカッションでは、相模湾を取り巻く陸・海域を含めた調査研究、地域との融合という点に課題が与えられ、「相模湾と太平洋」の生態系を展示してゆくという方針が固まりました。
開館して 20年、相模湾に向き合い理解を深め、情報発信をおこなってきました。課題が山積する中、生物、環境の保全のために何ができるかを模索しています。
江の島の南磯にも広がるアラメやカジメといった大型の海藻類の藻場を表現した水槽です。
海藻育成には「光」「水の動き」「栄養」といった要素が重要です。建設にあたっては、資料収集や予備実験、他園館の視察などをおこない、水槽上部にいくつかのタイプの照明を並べ、背後にはピストン式の造波装置を設置しました。
擬岩面には何らかの形で外から持ち込まれたいくつかの海藻類が自生してきました。立ち上げ当初と比較するとうっそうとした雰囲気が出てきたものの、主役としたいアラメやカジメの周年育成には至らず、課題が残る発展途上の水槽として展示していました。
数年前から鉄イオンを添加することにより、大型海藻の育成状況は格段に向上しました。一方、江の島などフィールドでは磯焼けが進み、大型海藻の姿が見られなくなりました。回復に向けて幼株の育成など藻場の再成と保全に関する活動も行っています。
2008年の館内改装にともない、相模湾の海岸より陸側の環境を展示するため、相模川の流れを再現した淡水魚の水槽を造りました。水槽制作にともない、海の「波」では表現することのない、落差による小さな「滝」で魚の行動展示を目指しました。
海に比べ浅い川にすむ淡水魚は、生まれた時から水面を意識して生活しています。水が枯渇しそうな危険を察知したら、わずかな水流を頼りに新しい場所に移動しなければなりません。見えない次の水場に身を投じられるか、跳躍は命を懸けた一瞬のドラマのようです。
自然の河川でもなかなか見ることのできない行動を、いつでもご覧いただきたいという思いで造りました。水槽内の水位を徐々に下げてゆく渇水が始まると、川魚の本能が呼び覚まされ、より水量の多い場所に移動しようとします。遊泳ではもはや移動できなくなった落差になると、流れを吻先で確かめるような動きをわずかにした後、跳躍をします。
観察しやすいように、水量を少なくしながらも、水の流れをより感じさせるように、小さな滝に捻じれや撹拌、しぶきといった工夫が施されています。
干潟、アマモ場、逗子沖のサンゴ礁、湘南港を模した水槽群です。当館の前身となる旧・江の島水族館は汽車窓式の水槽が並んでいて、こういった特殊な形の水槽はありませんでした。そのため、他園館や研究機関を視察し、情報収集を行い、この場所にふさわしいものを模索して造られました。当初はどの水槽もボリューム感に欠けることがありました。特にアマモには苦労しましたが、近年は周年安定した状態が保てています。干潟やキサンゴの展示は開館以来、少しずつ進化してきました。一方、飼育設備の部分では配管の詰まりなど苦労が絶えず、水位や水質の不具合がしばしば発生しました。日々、試行錯誤しながらも相模湾の海岸の環境をわかりやすく紹介するため、これからも取り組みを続けていきます。
地元の漁師さんとのつながりが深い水槽群です。以前は「食卓水槽」と呼んでおり、その名のとおり「食」をテーマに年4回、季節ごとにさまざまな展示を展開していました。魚の採集法の紹介で、水槽内に採集道具を入れてみたり、砂地の上にミニチュアの定置網を張ってみたり、天井に地引網を吊ったりしたこともありました。現在は「沿岸水槽」と名を変え、水深に応じた生物の展示をおこなっていますが、この展示の始まりには「いただきます」という言葉の由来についての解説があり、当館が常に発信している「つながる命」について、お客さまに語りかけています。
この場所には、相模湾の深海にすむ世界最大のカニであるタカアシガニを展示することが最初から計画されていました。
水槽の高さをどうするか、という議論になったとき、世界一大きな種類のカニの展示は人気があり、人だかりになるだろう、そしてカニは常に底の方にいるものだから、水槽の底面が低いと見にくいのではないか、という考えのもと、現在のような展示水槽となりました。
可能な限り大きなタカアシガニを展示できるように作った大きな水槽には、ラブカなどの大型の冷水系の生物が一時的に収容されることもあります。
相模湾の一部を切り取ったような水槽を造るために、私たちは実際に江の島沖に潜水し、写真を撮り、それをもとに景観を造り込みました。
現場確認のため、まだモルタルで擬岩を造作している、足場だらけの相模湾大水槽の中に入ったときには、その登山道のような場所がいずれ水中になることなど想像もつきませんでしたが、でき上がった相模湾大水槽は、水中から見ても、外から眺めても、本物の海のような水中景観の水槽になったと思います。
丸い窓からは穴に入ったウツボが見えると思いますが、あの穴はウツボが入ってくれたらいいなと思って作った穴です。
時の経過とともに擬岩には小さな生き物がすみ着いたり、海藻が付着したりして変化してゆく相模湾大水槽自体が、一つの生き物のようです。
新江ノ島水族館開館より、当時JAMSTEC(現在の国立研究開発法人海洋研究開発機構)の研究員でもあったスタッフとともに、これまで飼育したことが無いどころか、見たことも無かった深海生物の長期飼育に挑戦していました。
バックヤードの周りにある配管資材や、飼育器材などを工夫して熱水噴出孔のようなものを造ったり、低水温の水槽の中にヒーターを入れて、熱水域の環境の再現を試みたりと、さまざまな試行錯誤をしていました。
その一つの成果が特許を取得した化学合成生態系水槽です。
時代とともに、深海に関する知識も調査技術も進歩しました。今では水中ドローンで深海のようすが見やすくなり、世の中でも深海への関心が高まってきていると思います。
みなさまもこの20年の間に、「深海」がより身近に楽しめるようになったことを実感されているのではないでしょうか。
美しいクラゲに囲まれて癒やされてほしい、という思いを込めてつくられた空間です。「クラゲファンタジーホール」という名前も、青く幻想的な雰囲気も、旧・江の島水族館のクラゲ展示コーナーから引き継がれています。
開館9周年の 2013年に、ホール中央に球型水槽「クラゲプラネット(海月の惑星)」が加わり、「クラゲファンタジーホール」は “えのすい” を象徴する空間の一つとなりました。
どこまで行けば「完成」なのかはわかりませんが、クラゲ展示による究極の癒やしの空間づくりに、これからも邁進してゆきます。
新江ノ島水族館の展示の大きなテーマの一つは「相模湾」ですが、相模湾にはいない生き物ももちろん紹介したいと思い、相模湾から少し飛び出して、「太平洋」というくくりで展示を展開しています。
他の水族館からの協力を得て、続いている展示もあります。
新江ノ島水族館を開館するにあたり、トリーターからは「水温を(今よりもっと)下げられる」ということが、大きな願望の一つでした。
低水温を維持することは、そのこと自体も、そして必ず付随してくる結露の問題(観覧側のガラス面、ウッドデッキの腐食など)も、大変なことではあるのですが、その悲願が受け入れられ、とにかく、「冷やせる」ということがうれしくて、これまであきらめていた種類の生き物を飼育展示できるわくわく感でいっぱいでした。
透明度が高く、太陽の光が降り注ぎ、多種多様でカラフルな生き物がたくさんいる、暖かい海。
大きな水槽、環境に合わせた擬岩、太陽光が入る天窓、明るい照明など、設備面が充実することは、水槽で「暖かい海」を再現するためには飼育技術とともにとても重要なことです。新しい設備に胸を躍らせながら、造り込みをおこないました。
開館当初からしばらくの間は「サンゴ礁水槽」という名前で、サンゴの展示を行ってきました。しかし、私たちの技術がまだまだ未熟で、繁殖によって安定的な展示をおこなうまでには至っていなかったことや、自然界からサンゴ類を入手することについても、規制が厳しくなり、環境を大切に守る立場の水族館としても、やはり生物の入手については慎重におこなうべきだという考えから、一旦路線を変更し、サンゴ礁域にすむ魚の展示を行おうということになりました。
内容を任されたのは当時の女性トリーターズ。魚種の選定など、和気あいあいと話し合いながら考えたコンセプトは、「群れときどき大魚(ムレトキドキオオザカナ)」。
トリーターが楽しい気持ちで考案した水槽を、お客さまにも楽しんでいただけることを願っています。
新江ノ島水族館 開館当初は、ツマグロ、アカシュモクザメ、ネムリブカ、エイラクブカ、オオセを展示していました。
開館当初の照明は今より明るかったため、コケが付くのが速く、掃除が追いつかず底面がコケだらけになってしまっていた時期がありました。
途方に暮れていたところ、あるトリーターが一度は諦めたメラミンスポンジで根気よくこすってみたところ、だんだん底が見えてきたのです。コケがあまりにも厚くなりすぎて、普通にこすっただけでは落ちていることに気づけなかったのです。
この方法で相模湾大水槽でショーダイバーを担当した後に、サメ水槽に潜ってメラミンスポンジでコケ取りをすることをルーティーンにしました。30分でコケを落とせる面積が10平方センチメートル程度でしたが、15平方メートルほどの全底面が見えるまで、擦り続けました。百里の道も一歩から。今も、あの時きれいになった底面をキープしているのです。
もっと小さな水槽で、もっと小さいクラゲも展示したい。多種多様な、これもクラゲかと思えるような種類も紹介したい。クラゲについて、もっといろいろな情報を発信したい。その思いを実現すべく、開館9周年の2013年に、クラゲの展示コーナーを増設しました。それが「クラゲサイエンス」。
「クラゲファンタジーホール」の「癒やし」に対して「学び」をコンセプトにしています。
小さなクラゲを展示するための水槽については、計画段階から、見た目にも楽しく、思わず覗き込みたくなるようなものを、ということででき上がったのが、通称「お花畑」と呼んでいる水槽群です。
実際に、お客さまが一つ一つの窓に目を凝らしているようすには、新鮮な驚きと感動を覚えました。
これからも、お客さまに興味を持ってもらえる展示を、私たち自身も楽しみながらおこなってゆきます。
ペンギン・アザラシ
~ ペンギン ~
フンボルトペンギンを飼育し始めたのは 1960年代初めごろで、野生やヨーロッパの水族館動物園で繁殖したフンボルトペンギンが多く日本へ輸入されていた時代でもありました。
現在ではワシントン条約で厳重に保護され、海外からの輸入が困難になりましたが、国内飼育全個体の管理繁殖計画を遺伝子レベルで厳重に行い、新しい血統を野生や海外から輸入しなくても国内の繁殖個体のみで野生に近い遺伝子が維持されています。“えのすい”でも繁殖技術を向上させ、現在飼育している 27羽はすべて繁殖個体です。
群れのイメージが強いペンギンですが、番(つがい)や個体に、よりクローズアップした展示をおこなって、フンボルトペンギンの多様性を探究しています。
~ アザラシ ~
1962年、ゴマフアザラシの飼育を開始しました。当時、全国で最年長の「天洋」という雌が、博物館相当施設として展示研究を目的に飼育され始めた最初のゴマフアザラシだといわれています。
「天洋」はのちに多くの子どもを産み、安定した個体数を維持しながら、通常展示、繁殖、給餌解説など多様な展示をおこないました。
新江ノ島水族館になってからは、屋外の飼育施設や屋内飼育施設など展示形態を変え、初出産、繁殖へ向け取り組んでいます。
順路の最後に、今見てきた生き物たちと、彼らを取り巻く環境について少しでも思いを馳せてもらえるような、メッセージ性のある水槽を置こうということになりました。
最初はわかりやすく、水中に捨てられたごみから、環境を考えてもらえたら、ということで、レイアウトとして壊れたテレビを入れていたこともありました。
「環境」というテーマはそのままに、展示内容は何度か変わり、ある時は、当館の水槽コンテストというイベントで最優秀賞を受賞した中学生のアイディアを展示したこともありました。
その後、やはり最後の水槽は未来に向かって明るい気持ちになれるように、彩り鮮やかな種類の魚をお見せしようという方向になり、現在に至ります。