共同研究による挑戦 深海を伝える水族館の新たな試み

2009年07月
科学 79巻 7号 P734-739(岩波書店)
植田 育男 ・ 根本 卓



共同研究による挑戦
深海を伝える水族館の新たな試み
植田 育男 ・ 根本 卓
新江ノ島水族館

新水族館計画と深海展示への新たな願望
江の島水族館は神奈川県藤沢市の片瀬西浜海岸前に位置し,1954年7月に開館した.オープン当時は戦後初の本格的な水族館と謳われ,1957年に小型鯨類専用の陸上型プールを備えたマリンランドを,1964年にアシカ科やアザラシ科をはじめとする海獣類と,ペンギン類などの海鳥類に特化した海の動物園を施設として加え,総合水族館へと発展してきた.これらの施設では,戦後の復興から高度経済成長へと進む世相の中で,生活水準の向上とともに活発になっていく庶民のレクリエーションへの欲求や知的好奇心を満たすべく,水域環境に生息する水族の収集,飼育,展示,そして解説に努力してきた.しかしながら,40年以上の歳月が過ぎ,施設には古さが目立ってきた.3つの施設が国道や公園施設で隔てられていることで,利用者に不便をかけていた.

2004年オープンに向けて,古い建物と旧態の展示をまったく新しい水族館に造り変えるべく,新水族館建設の計画が動き出したのは2001年のことである.新しい水族館では,相模湾,クラゲ,生物多様性,生命のつながりなどをキーワードに基本構想が練られ,その中に「深海」も盛りこまれていた.従来から水族館で展開されてきた深海の紹介,深海生物の展示の枠から抜け出すためには,何か新たな目線,知識,そして技術が渇望された.それをもっていたのは日本には唯一,「海洋科学技術センター」(当時.現・独立行政法人海洋研究開発機構:JAMSTEC)である.

堀由紀子館長(現・新江ノ島水族館長)は当時の平野拓也理事長の門をたたいた.当時JAMSTECでは,深海の調査を精力的に進め,深海生物の採集もさまざまな海域で行っていた.それを生きた状態で長期間ストックする難しさも痛感していた.そこで,水族館のもっている飼育技術には魅力を感じていた.このような,互いの欲するものが相手にあることがわかり,協力して深海生物の研究に取り組もうとの意識が高まっていった.

JAMSTECとの共同研究
共同研究のテーマは「深海生物の長期飼育に関する共同研究」と決まった.このテーマの下で,JAMSTECと新江ノ島水族館は協同して,深海生物の入手から飼育,そしてそれを活用した実験や観察を進めることとなった.この研究の手始めとして,JAMSTECがストックしている深海生物を新江ノ島水族館で預かって予備飼育をすることとなり,その第一弾に,眼が退化してほとんどないカニとして有名なユノハナガニが選ばれた.

ユノハナガニは,水温3~4℃と,寒冷な水深1000mを超えるような深海にも住む.その深海底でも熱水の噴出する場所周辺に,特異的に生息する.生活適温も12~15℃ と比較的高い.このカニを安定した温度環境で飼育するために,われわれ飼育スタッフが採用した方法は,ウォーターバス方式だった.この方式では,大きな(外)水槽にある一定の温度条件の水を満たし,その中にすっぽり納まる小型の(内)水槽を浮かべるように入れて,その内水槽で生物を飼育する.外水槽と内水槽は水が混じり合うことはない.ただ内水槽は外水槽の水で冷やされる(温められる)ので,内外の水槽の水温は大差なく保つことができる.さらに小型の内水槽を多用することで,水温の同じ小規模の飼育環境を同時に多数運用することができる特性がある.われわれはこの方式を用いて,多種のクラゲを繁殖させるために,クラゲのポリプ期(イソギンチャクタイプの付着生活期)やエフィラ幼生(成体クラゲにそのまま成長する元となる幼生期)を飼育してきた経験をもっていた.

江の島水族館(旧館)のクラゲファンタジーホールのバックヤードに,深海生物を試験飼育するためのウォーターバス用外水槽を特別に準備した.外水槽には水族飼育に用いる冷水機をつなぎ,循環水温は室温20℃のところで12℃程度に設定した.この外水槽に間口45cmの内水槽を設置し,簡易な水ろ過器とさらに水温を15℃程度で安定させるための熱帯魚用ヒーターと温度調節用サーモスタットを組みこんだ.この装備でユノハナガニの到着を待ったのである.

ユノハナガニは,水深400~1600mの海底に住む.前述のように退化的な目をもつカニで,甲羅の幅が6cm程度の大きさである.体全体が淡いクリーム色をしており,熱水噴出域に特異的に生息する.和名のユノハナも温泉に関係が深いことに因んで「湯の花」からつけられた.餌として魚肉など動物性のものを食べるので飼育しやすく,観察する限り,海底から陸に引き上げられることによる減圧の影響も受けにくいようである.

このカニをオス・メス2個体ずつJAMSTECより預って飼育を始めた.飼育を開始してしばらくしたある日,このカニが奇妙な行動をとるのを目撃した.水槽内の温度が下がると水槽内に投入したヒーターがサーモスタットと連動し通電し,熱を発する.ヒーターの表面を観察するとヒーターが熱を発するとその周りの水がゆらゆら揺らぐのである.その揺らぎの中で,ユノハナガニが自分の甲羅の背面をしきりにヒーターに押し当てようと足を突っ張るのである.この奇妙な行動の意味を初めは理解できなかったが,ユノハナガニが熱水噴出域に特異的に生息することから考えると,温かな水に何かしら反応しているものだと思われた.この行動の観察が,その後,新江ノ島水族館のオープンから始まる深海生物展示に,深い意味をもつこととなった.

新江ノ島水族館では世界初の展示生物ばかり
2004年4月16日は,われわれにとって記念すべき日となった.この日,新江ノ島水族館がオープンし,共同研究も2 年がたとうとしていた.重要な展示要素の1つである深海コーナーの展示生物の充実を図るために,深海担当者はいろいろな研究者に積極的に働きかけを行い,オープン以後,共同研究者として調査航海に毎回のように参加できるようになってきた.

相模湾や小笠原沖,沖縄トラフなどさまざまな海域での調査航海に参加し,サツマハオリムシやシンカイヒバリガイ,ゴエモンコシオリエビ,オハラエビ類などを採集する機会を得た.問題となる船上での飼育も,船内実験室に水槽を置き,冷水機を活用して深海に近い低温まで冷やし,ろ過装置により海水を循環するシステムを組みこむことで,船上で深海生物の飼育ができるようになった.ただ,極端な場合,特定の生物の住む環境水温は4℃,ときには1℃あたりの極寒のこともあった.そのため船上でもそこまで海水を冷やさなければならず,保冷剤や海水氷を用いて温度を維持する必要があった.これらの船内飼育努力が効を奏して,現在までに生きた深海生物を水族館に運ぶ方法が確立できた.さらにインド洋中央部やインドネシア沖など,1カ月にわたる長期の航海に参加できるようになると,乗下船が海外になる.下船後の日本への運搬も,低温をキープすることや,デリケートな採集生物にストレスを与えないように努めた.その結果,日本の研究者でもめったに見られない,鉄の鱗をもつ巻貝,スケーリーフットや,同じく巻貝のアルビンガイ,ヨモツへグイニナなどを採集し,展示を行うことができるようになった.

どの生物も一部の研究者にしか見ることのできない貴重な生きものであり,また深海でも非常に特殊な環境に生息する生きものばかりである.われわれが参加した深海調査で採集した生きものたちは,ことごとく世界初展示となり,新江ノ島水族館の深海展示が世間から注目されるようになった.

共同研究が出した1つの答え ― 化学合成生態系水槽
共同研究が最終段階にさしかかってきた頃,その研究の答えを出すべく1つのプロジェクトが動き出した.われわれが目指すものは深海研究活動で得られた知見を展示に注ぎこむことだった.キーワードは「化学合成生態系」.深海に展開される独自のエネルギーの流れと,それを構成する生きものたちでできた生態系である.これをどうにか水槽内に再現できないか,深海チームはまったく新しい水槽,化学合成生態系水槽をつくるプロジェクトに着手した.

化学合成生態系水槽製作の1つの目途が,ユノハナガニの展示水槽で行った実験だった.当館では以前からユノハナガニがヒーターに背中をつける行動を観察していた.そこで実際に水槽の中で熱水を噴出させたらどうなるのかを実験した.するとユノハナガニがどんどん集まって,タワーのように積み重なった.さらに同じ水槽に入っていたトウロウオハラエビでも,ユノハナガニに遠慮しつつ熱水に集まる行動が見られた.この行動を見て,化学合成生態系水槽の1つの方向性が決まった.
冷たい海水環境に温められた場所を同時に再現する ― これが第一のミッションである.これには,低温水槽内で高温の海水が交じり合わずに循環するシステムをつくり出さねばならなかった.試行錯誤の結果,25℃の温水(実際の深海では100℃を優に超える熱水ではあるが)を噴出させることができる人工チムニー(チムニーとは深海底で熱水を噴出させる煙突のような岩の塊のこと)を7℃の海水の満たされた間口50cmの水槽につくることに成功した.人工チムニーの技術などを組みこんで,化学合成生態系水槽は2007年3月完成した.この水槽では,3つの化学合成生態系の再現を目指した.左の方では前述の技術をさらに洗練させて熱水噴出域を再現し,人工のチムニーを設え,そこからは60℃までの熱水を噴出させることができる.右の方では相模湾海底のような湧水域を再現しており,地中から硫化水素がじわじわと染み出す構造となっている.その泥土層には有機物を混入させて硫化水素が醸成される工夫が組みこまれている.そして中央ではクジラの骨に形成される鯨骨生物群集を再現している.長い時間をかけて分解される深海のクジラの死骸には,そこにだけ姿を見せる特別の生きものたちがいる.この水槽では,深海生物だけではなく深海の環境そのものを見ることができ,深海生物の自然の姿や特徴的な行動を目の当たりにすることができる.深海では長時間の生物観察はできないが,この水槽では毎日,好きな時間に好きなだけ観察ができる.長く見ていると,ときに脱皮や交尾などさまざまな生きものたちの生活イベントに出会える.まだまだ課題もあるが,この水槽で新たな発見を積み重ね,深海生物の秘密を解き明かせるようになればと考えている.

深海伝道師たち
新江ノ島水族館が深海生物の飼育展示を行う上で,深海生物の長期飼育技術を確立することと同じくらい大切な活動がある.アウトリーチ活動である.深海調査に参加し,直接深海を見てきた新江ノ島水族館の飼育員だからこそできる普及活動である.調査船に乗りこみ実際に深海を見ながら生き物を採集した経験は,われわれにとって最高の財産となった.船上でもさまざまな作業があり,実際に有人潜水調査船「しんかい6500」や無人探査機「ハイパードルフィン」などの運航に立ち会い,リアルタイムで深海のようすを見ながら生きものを採集することを経験すると,深海への印象が本当にがらりと変わる.深海を伝える際に,この体で感じた経験がとても生きてくる.

JSTの助成事業によるアウトリーチ
新江ノ島水族館では,このような調査航海に参加した際に得た経験を,あらゆる手法で伝えてきた.その代表格が,独立行政法人科学技術振興機構(JST)の助成事業である地域科学技術理解増進活動推進事業で行うアウトリーチ活動である.JSTの助成を受け,科学技術館,JAMSTEC,独立行政法人理化学研究所,新江ノ島水族館の四者の協力で,深海の魅力を伝えるためさまざまな場所で講演や展示を行ってきた.その中心となるのが加圧水槽による圧力実験と,3Dハイビジョンカメラにより撮影された深海のハイビジョン立体映像の展示である.加圧水槽は透明のアクリル製の水槽で,手押しポンプにより100気圧まで圧力をかけることができる.つまり,1000mの深海の水圧を目の前に再現することができるのである.水深1000mの深海では物はどうなってしまうのか?空気の風船や水風船,カップメンのカップなど,さまざまなものを入れて目の前で圧力をかけていき,それらのものがリアルタイムで変化するようすをつぶさに観察してもらう.深海の魚が釣り上げられると内臓が飛び出してしまう理由や,深海調査が圧力との闘いであることなど,水圧がおよぼす影響について,みんなで実際にポンプをこいで圧力をかけつつ実験をしながら考えるのである.この実験は,小さい子どもから大人まで,どんな世代の方の興味も引くことができる.カップメンの容器がどんどん小さくなる姿に大きな歓声が上がり,空気の風船と水風船の水圧への変化の違いを真剣に考えてもらうことができる.言葉で説明すると難しい水圧も,実験を目の前で行うことによってはるかに理解しやすくなる.加圧水槽を用いた実験は,当館の来館者や年間パスポート会員を対象にした講演会のほか,小学校への出前授業,さらには研究所の一般公開や出張水族館での催しなどでも行っている.

もう1つ,現在進行中のプログラムが深海の立体映像である.2台のハイビジョンカメラをJAMSTEC の潜水調査船や無人探査機に取りつけて潜航し,2台同時に深海の映像を撮影する.その視差を利用して映像を立体的に見せる.特殊なメガネをかけると映像が立体的に見えるというものである.潜水調査船で深海に潜った人しか見ることができなかった立体的な風景を,この立体映像で再現することができる.現在,私たちが乗船する航海でカメラをもちこみ,撮影作業を行っている.

深海特別展
新江ノ島水族館ではオープン以来,5年間に2回の深海に関する特別展示を開催してきた.2006年にはJAMSTECの活動を中心に紹介した「JAMSTEC展」を,2008年には新江ノ島水族館の深海調査活動を中心に紹介した「深海生物展」を催行した.

とくに2008年に行った「深海生物展」は,新江ノ島水族館の深海チームを中心として,これまでの活動の集大成となる展示だった.JAMSTECや科学技術館,神奈川県立生命の星・地球博物館などと連携し,幅広い深海生物の標本を公開し,ダイオウグソクムシをはじめとする触れる標本(プラスチネーション標本)の展示も行った.また普段,紹介する機会が少ない深海調査が,どのようにして行われているのか,乗船研究者が船内でどのように過ごしているのかなどを,資料とパネルを使って解説した.さらに,当館には「しんかい6500」に乗船した職員が3名いる.この3名が,潜航した際の深海のようすや,自分の目で直接見たときの体験談を,当時の潜航映像とともにモニターを用いて紹介した.そのほかに,普段,アウトリーチで使用している加圧水槽では再現できない「しんかい6500」の最大潜水深度である水深6500mの水圧を,身の回りにあるさまざまなものにかけて,その成果物を展示した.これらはJAMSTECの耐圧試験用の施設で加圧したもので,ベコベコに凹んだステンレスの水筒や,原形のまま小さく圧縮された発泡スチロールのマネキン,圧壊したピンポン玉などである.スイカやパンなどの食べ物は,同様に加圧したが展示できない.そこで,その形と味の変化をホームページに公開した.普段の展示ではできないことや,日頃から私たちも疑問に思っていることを実験でき,私たちにとっても楽しい企画展だった.

ブルーアースシンポジウム
新江ノ島水族館では,深海生物の調査採集で得た知識や生きもの,またそれを利用した実験やイベントの成果などを,学会やシンポジウムで発表してきた.深海調査に参加した飼育員は,必ずJAMSTECが主催するブルーアースシンポジウムに参加している.水族館の特色を生かし,科学的な研究発表だけではなく,アウトリーチ活動の内容や参加者の反応などを紹介した発表を行い,2008年度のブルーアースシンポジウムでアウトリーチ活動の成果を発表したポスターが,ポスター大賞を受賞する栄誉を得た.この受賞は,深海に関するわれわれの知見を,多くの方々に正しく,わかりやすく,そして楽しく紹介する活動の重要性を改めて認識させるものとなった.これからも深海を伝えるアウトリーチ活動を活発に行っていきたいと考えている.

RSS