2010年05月21日
トリーター:石川

突然の出来事


5月1日、フンボルトペンギンの“ポー”が亡くなりました。
現在、ペンギンプールでは 2番(つがい)が雛を育てていますが、その一方のオス親でした。
公開中の右側の“ジャンボ”と“ハク”の番とは別に、左側の巣穴に巣材(カゴ)が入っているのでご覧になられた方もいらっしゃると思います。
また、このトリーター日誌でもご紹介させていただきました。

雛を育てた経験があるオスペンギンは、この“ポー”と“ジャンボ”の 2羽で、この 2羽は 1998年の同年生まれで、“えのすいフンボルトペンギン一族”を 2分する両雄でした。
双方ともに喧嘩するようなことはあまりない温厚な性格で、それぞれにえのすい生まれではないメスペンギンと番になりました。
“ジャンボ”は青森県出身 4歳年上の“ハク”と、“ポー”は長崎県出身 11歳年上の“灰青”と番になり、初めの子育ては“ポー”が 2001年 4月に現在いる“トップ”を、“ジャンボ”は 2001年 12月に“グー”を育てました。

はじめての育雛(いくすう)の時期まで張り合っているように同じ年でした。
その後、2008年“灰青”に先立たれてしまい、しばらく番をつくれずにいた“ポー”でしたが、ようやく今年“ウタ”と番になり、今回の育雛に至りました。
今回の“ポー”の繁殖への再参加は、今後の“えのすいのフンボルトペンギン”のゆく末にもかかわってくるものでしたので、大きな期待をしていました。
まだ育雛経験がないメスの“ウタ”ということもあり、あえて子育て中の掲示をせず、そのようすを見守っていた最中の突然の出来事です。
死因は外的要因によるもので、どうやら闘争した際に致命傷を負ってしまったようです。
格闘技などでも当たり所が悪いと事故にいたることがありますが、現在いるペンギン中体重も一番重く、病気や怪我もしていなかったので、その闘争の詳細ないきさつは不明です。
残された“ウタ”ですが、“ポー”がいなくなって 2、3日は戸惑っていたものの、“ポー”がいたころは日量約 800g程度しか餌を食べていなかったのに、今では日量約 1,200g食べる時もあり、雛の成長は体重も増加し安定しています。
また、お客さまや館内スタッフからも、他のペンギンが“ウタ”と喧嘩をしていたりするとすぐにご連絡いただけるので、とても力強いです。

今は、この“ウタ”と雛のサポートをし、見守りたいと思っています。

ペンギン・アザラシ

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