2026年08月09日
トリーター:霜鳥

キュウリの匂い!? のするクラゲ

突然ですがみなさん、クラゲって、どんな匂いがすると思いますか?
魚のような匂い? それとも、甘い匂い? いや、まったくの無臭でしょうか?
毎日クラゲに接している私たち、えのすいトリーターであれば、その答えは知っているはず…、かと思いきや、実はそうでもなかったのです。
というのも、クラゲのお世話って、とってもデリケート。体のほとんどが水でできていて、ゼラチンのような柔らかい体です。クラゲを扱うときは水ごとそっとすくうので、匂いが感じられるほどに空気中にさらすことはほとんどありません。
クラゲのもつ独特な匂いに気がついたのは、クラゲやシアノバクテリアのもつ毒など、海洋生物由来の化合物の構造を調べたり、その役割を調べたりする研究者でした。
研究のサンプル用にクラゲを採集していた際、あるクラゲを触ったあと、手に残った独特な匂いに気がついたといいます。

…ということで、今回の日誌の主役は「カミクラゲ」です。
たびたびえのすいでも展示しているクラゲですが、毎年春先に現れ、細長い“髪の毛”のような触手が特徴的ですね。
そしてなんと、近年の研究で、「キュウリ」のもつ匂い成分と同じ化合物を持っていることが分かったのです。
私をはじめ、何人ものトリーターに匂いを嗅いでもらいましたが、みんな「キュウリの匂いだ!」とそっくり同じ反応をしてくれました。
クラゲからキュウリの匂いがするなんて、ちょっとびっくりじゃないですか?
ちなみに水族館でおなじみの定番種、ミズクラゲは、ちょっと生臭い感じの匂いがします。

カミクラゲカミクラゲ

そして、このカミクラゲに関する新たな論文が、先日公開されました。

タイトルは、「Behavioral and Exumbrellar Integumental Defenses in Jellyfish: The Hydromedusan Spirocodon saltatrix Releases Oxidized Derivatives of Unsaturated Fatty Acids Potentially to Avoid Predation and Bacterial Biofouling」です。

とっても長い! 笑

直訳すると、「クラゲにおける行動的および傘外表皮の防御:ヒドロ虫類の Spirocodon saltatrix は、捕食や細菌による付着を防ぐために、不飽和脂肪酸の酸化誘導体を放出している可能性がある」です。

タイトルだけを読んでも、おそらく頭の中にハテナマークが浮かぶ人が大半でしょう。
でも、この内容、とっても面白いんです。
こちらは東京海洋大学との共同研究で、私が学生のころに取り組んでいた実験のデータも使われています。今回はこの論文の内容をみなさんにご紹介しますね。

ちなみに、えのすいのホームページの“研究発表”のところに、この論文へのリンクが貼られています。
この日誌を読んだ後にもっと詳しく知りたくなった! という方は、ぜひ読んでみてくださいね(英語ですが、翻訳サイトを使えば内容は理解できるはず!)。

Behavioral and Exumbrellar Integumental Defenses in Jellyfish: The Hydromedusan Spirocodon saltatrix Releases Oxidized Derivatives of Unsaturated Fatty Acids Potentially to Avoid Predation and Bacterial Biofouling | 研究発表 | 新江ノ島水族館

ではまず、研究の背景について軽くご紹介を。

クラゲというと、一見、水っぽくて栄養がなさそうに見えますが、実は海の中ではいろいろな生き物に食べられています。有名なところだと、ウミガメ、マンボウ、カワハギの仲間、セミエビの仲間の幼生、そしてクラゲを食べる種類のクラゲなど…。近年研究が進み、クラゲを食べる生き物についての知見はどんどん増えてきていますが、クラゲたちが「身を守る」手段についての研究は、これまであまりおこなわれていませんでした。クラゲは、自ら泳ぎ回る魚とは異なり、ふわふわ海を漂っていて、身を守るための硬い殻のようなものも持っていません。毒を使った防御、あるいは、体から出る粘液による防御についてはいくつか報告があるのですが、それ以外の防御機構があるのかどうかについてはほとんど分かっていませんでした。

そこで、この研究では、カミクラゲに着目しました。
最初にお伝えしたとおり、カミクラゲはキュウリの匂いの化合物をもつクラゲです。この物質には昆虫に対する忌避活性などがあると報告されており、カミクラゲにとってなんらかの役割を果たすものだと考えられてきました。

そこでちょうどタイミング良く、ある水族館の方から、「アカクラゲがカミクラゲを食べない」という話を聞くことができました。アカクラゲはそこそこ毒の強いクラゲで、小さな動物プランクトンのほかに、小魚や、他の種類のクラゲを食べることが分かっています。実際にえのすいでも、アルテミア、カキのミンチ、冷凍コペポーダ、形の崩れてしまったミズクラゲなど、さまざまな餌を与えています。
それなのにカミクラゲは食べない…?
これは気になる。実験して確かめるしかないですね。

ということで、えのすいのバックヤードの水槽と飼育個体を使って、実験が始まりました。

ここでちょっと補足。
アカクラゲの体のつくりをざっくりとお見せすると、こんな感じです。
通常、触手(毒針のあるところ)で捕まえた餌は、口腕をつたって口に運ばれ、傘の内側の胃腔へと入っていきます。
多くのクラゲは半透明な体をしているので、胃の中に入った餌も透けて見えることがあります。

アカクラゲの体のつくりアカクラゲの体のつくり

では実際に、アカクラゲにミズクラゲとカミクラゲを餌として与えたとき、どんな反応をするか観察します。

…結果、ミズクラゲは一度捕まると、そのまま口へと運ばれていったのに対し、カミクラゲのときには、なんだかちょっと躊躇している? ようす。

アカクラゲにカミクラゲを与えると… (霜鳥撮影:東京海洋大学在学時)アカクラゲにカミクラゲを与えると… (霜鳥撮影:東京海洋大学在学時)

そして、捕まっているカミクラゲはというと、触手を完全に傘の内側にしまい込み、丸まって、拍動すら止めているではありませんか!!

触手を内側に巻き込むカミクラゲ (霜鳥撮影:東京海洋大学在学時)触手を内側に巻き込むカミクラゲ (霜鳥撮影:東京海洋大学在学時)

これがそのようすの写真です。
あの、長~い触手のカミクラゲの姿からは、想像もつきませんよね。

そうして、アカクラゲはカミクラゲを口へ運ぶことなく、するっと離して捨ててしまいました。

アカクラゲがカミクラゲを離すようす (霜鳥撮影:東京海洋大学在学時)アカクラゲがカミクラゲを離すようす (霜鳥撮影:東京海洋大学在学時)

この瞬間を初めて見たときは感動しました。
カミクラゲが明らかに防御体勢のようなものをとっている、そして、アカクラゲもきちんとそれを判断して食べない選択をしている!

しかも、その後しばらくカミクラゲは、丸くなったそのままの状態で漂い、ある程度時間がたってからゆっくりと触手を伸ばして元の姿に戻り、拍動を再開しました。

クラゲは脳を持たない生き物ですが、そうとは思えないくらいに、アカクラゲもカミクラゲも、知的な行動をしているように見えました。

では、何がそうさせるのでしょうか。
わざわざ刺胞(毒の詰まった細胞)が多く存在する器官である“触手”を傘の中にしまい込んでいるということは、実際にアカクラゲと接していた、カミクラゲの“傘の表面”に秘密がありそうですよね。
そこで次の段階として、傘の表面に注目です。

傘の表皮の一部を削り取ったカミクラゲ (鈴木撮影:東京海洋大学在学時)傘の表皮の一部を削り取ったカミクラゲ (鈴木撮影:東京海洋大学在学時)

さまざまな条件で実験を重ねていくと、傘の表面を削られたカミクラゲは、なすすべなくアカクラゲに食べられてしまう、ということが分かりました。
そこからさらに、ガスクロマトグラフィー質量分析という方法を用いて(ここでは詳細は省きます。仕組みが気になる方は検索してみてください!)、カミクラゲの傘の表面が傷ついたとき、水中にキュウリの匂いの物質を含む化合物群が放出されている、ということが分かったのです。

ということはやはり、これらの化合物には身を守るための働きがあるのでは? ということで、アカクラゲの餌に、その化合物を染み込ませた状態で与えると…、アカクラゲは見事に食べなかったのです。

さらに、それらの化合物には、細菌の付着を抑える働きがあることが分かりました。自宅の水槽で魚を飼育した経験のある方の中には、日数がたつにつれて、「なんだか水槽がぬるぬるしてきたなぁ」と感じたことがある人もいらっしゃるのではないでしょうか。それが、付着性の細菌がつくる「バイオフィルム」とよばれるものです。
海の中にもそのような細菌がたくさんくらしているのですが、本研究では、東京湾に生息する Ectopseudomonas sp.という細菌に対して、増殖を抑える効果があることが分かりました。

そうした実験結果を踏まえて、本論文では、カミクラゲがもつキュウリの匂いの原因物質を含む化合物群には、捕食を回避する効果、細菌の付着を防ぐ「防汚」効果があり、カミクラゲが身を守るためにこれらの物質を持っているのではないか、と推察されました。

こうした、化学物質を使って身を守る行動は、「化学防御」とよばれます。有名なところでは、敵に襲われると紫色のインクを放出するアメフラシなどがありますね。そのインクも、単に煙幕効果を示すために色付きになっているのではなく、捕食者が食べるのをためらうような働きをする化合物が含まれていることが分かっています。

クラゲにおける化学防御を実証したのは、この研究が世界で初めての事例となります。
実験をおこなっている間はえのすいのバックヤードがかなりキュウリくさくなってしまい、そのたびに周りのトリーターからちょっと顔をしかめられましたが(笑)、面白い実験結果が得られて本当に良かったと思っています。
生き物を飼育し、じっくり観察ができる水族館だからこそ気づきやすい発見、そして、クラゲをサンプリングするなかで “におい” の違和感に気がつき、そこから科学的に検証を重ねていけた研究者ならではの発見があったこの共同研究だからこそ、今回の研究成果に結びつきました。

この論文の内容はざっくりとそんな感じですが、今回のカミクラゲのように、海の中ではさまざまな生き物たちの間に、化学物質を介したやり取り(=「ケミカルシグナル」)が存在しています。
餌を探すため、身を守るため、仲間同士で集まるため…、そのときにどんな化学物質が使われるか、また、その生き物がどの化学物質に反応するかは、多様な組み合わせがあります。
さらに、海の生き物からは、陸上の生物には無い、それぞれが固有に持っている新しい未知の化合物が、たびたび見つかっています。
私はそんなところを掘り下げる、「海洋天然物化学」という分野の学問が好きで、生き物の不思議な行動を見たり、明らかに強い毒、変な匂いなどを感じたりすると、どうしてそんな反応が現れるんだろう、どんな化合物が関わっているのかな、とついつい気になってしまいます。
えのすいにいる生き物たちのことも、そんな“化学的”な目線から、またの機会にみなさまにご紹介できればと思います。

それでは、長くなってしまいましたがこのへんで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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