2022年07月04日
トリーター:北嶋

カマキリとの思い出

私にとっての子どもの頃の遊び場は、家の裏にある畑や雑木林、広い原っぱでした。特に原っぱは一部が運動場として整備されているものの、ほとんどの部分は草がぼうぼうに生えていて、夏から秋にかけては子どもの背丈より高い草のなかで日が暮れるまで虫取りに夢中になりました。

ここでの主役はバッタです。おんぶしているペアのオンブバッタと巨大なオオフミキリ(ショウリョウバッタ)をよく探していました。ショウリョウバッタはキチキチ音を立てて長距離を飛ぶので、ガサガサ草むらに入って飛んだら降りた地点に走って捕まえる、という手法で何度もゲットできました。
一番レアなバッタはクルマバッタで、1、2回しか目撃できませんでした。トノサマバッタは全く見ませんでした。イナゴは無数にいました。

このバッタ天国の頂点に立っていたのがオオカマキリで、カマの餌食にならないようにうまく捕まえるとヒーローになれました。
カマで挟まれるのも痛いのですが、うっかり挟まれると噛まれるという出血ものの痛手を負います。
うまくカマの付け根を適度な力加減で持って虫かごにいれて、バッタとともに連れて帰っては飼育し、その姿をじっくり観察しながらよく絵を描いていました。
昆虫の羽根は葉脈のような筋がとてもきれいで、種類によって筋の入り方に決まりがあるんだなあとか、脚の関節の付き方はこうなんだなとか、色に個性があるなとか、スケッチするのに夢中でご飯に呼ばれても無視してよく親に怒られました。
観察するには小さな虫かごできれいな姿で採集できないといけないので、チョウチョウは捕まえた時に鱗粉が散ってしまう、トンボはカゴが狭くて羽根が折れてしまう、セミはじっとしていられない、カブトムシやクワガタは背中がつるつるでつまらない、ということで、バッタととりわけカマキリがお気に入りでした。誕生日のたびに図鑑を買ってもらい、緑色のページばかりを見ていました。

秋にお腹の大きなカマキリを捕まえると虫かごで卵を産みました。
それを大事に机にしまってました。忘れたころ、アジサイが咲く少し前の時期になると数百匹の子どもが出てきました。生まれたカマキリが小さすぎて虫かごの隙間からみんな出てしまい、部屋中カマキリの赤ちゃんだらけになって大変でした。
こんなにたくさん、こんなに小さいカマキリにごはんをあげて育てることはできないので、青々とした庭のアジサイの植栽に「大きくなあれ」と放しました。この卵事件は結構あるあるだとおもっているのですが、昆虫好きだった少年少女は同じような経験があるのでは。

今回のテーマ水槽では「マニアックなトリーターおすすめ生物を」というオーダーに対してある意味マニアックではないカマキリを選んだのは、一般受けするだろうという思惑も正直ありますが、子どもの頃のカマキリとの思い出が今のトリーターになった自分に繋がっているとおもったからです。

おとなは虫が苦手な人が多いですが、あの頃子ども心にちょっと不思議でした。
子どもでも怖がりな子は最初は虫が苦手ですが、一緒に遊ぼうと誘って仲良くなると虫好きになってくれました。
みんな大きくなるとどうして嫌いになっちゃうのかな?
私は好きなままでいたいな。
そう思ってそのまま大人になり、こんな仕事をしています。

あの頃夢中になった原っぱは住宅街になってしまって、バッタもカマキリもとても減ってしまいました。
カブトムシやクワガタのいた雑木林も無くなり、鳥も外来インコとカラスばかりに。
犯罪が起きるような暗くて危ない場所だったので、人が暮らすためにはいまはよい環境に変わったのかもしれません。
原っぱや雑木林はいわゆる里山の一部で、放置してはいけなくて、ある程度誰かが手入れをしないといけないという点でも維持するのが難しくなってしまったのかもしれません。
個人的には残念ですが、老後は宝くじでも当てて山を買ってそんな里山で暮らしたいものです。そんな陸の自然が消える一方で、原っぱの隣を流れていた川は、以前は立ち入り禁止のごみまみれで汚い泡立ったどぶ川のようでしたが、いまは見違えるようにきれいになっていて、ビオトープ化のおかげもあり、いろんな生き物が暮らしているようです。
川には魚を狙ってカワセミがたくさん来たりしています。
展示ではカマキリだけでなく、「水」族館ですからミズカマキリも紹介することにしました。ミズカマキリとの思い出はあまりないのですが水が欲しくて。
名前にカマキリとついていますが、カマキリの仲間ではなく、カメムシの仲間です。
ミズカマキリなんて神奈川にいるのか?
十数年前には見かけましたが、だいぶ減っているようです。
きれいになったあの川の流域に、もしかしたらいまはミズカマキリがいるかもしれません。

テーマ水槽

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