2020年07月09日
トリーター:八巻

生き物の写真を美しく撮ろうとする努力

こんにちは。八巻です。きょうは写真のお話をしたいと思います。

生き物のどこに美しさを感じますか?と問われれば、私は種類を問わず、生きている姿全てと答えます。身も蓋もない当たり前の答えですが、たとえどんなに整えられて標本やはく製にしてあっても、やはり生きているときの姿にはかないません。
動いていたらもちろん、たとえじっとしていたとしても、生き物の姿は美しいです。

なぜなのか? マクロな視点では一見すると静的ですが、ミクロな視点で考えれば、一様に見える体表でさえ、その実際はつねに細胞レベルで新旧が入れ替わり、さらにつねにさまざまな微生物との攻防が繰り広げられている、極めて動的な世界です。
私はこの絶妙なバランスで成り立つ「ミクロに動的でありながら保たれているマクロな平衡」が、生き物の美しさの源であると思っています。生き物が死ぬと、そのつやや透明感は一瞬で失われてしまいます。それは代謝の停止と他の微生物の侵入、すなわち「ミクロに動的であるマクロな平衡」の瓦解による微細構造の変化を意味しています。

以前「目」を見れば生きているか死んでいるかすぐにわかるということを日誌で書いた気がしますが、「目」は光を感じる感覚器だけに、薄い透明な膜に覆われていたり、微妙な光の当たり方で色が変化したり、きわめて繊細な構造をしています。つまりそれらが少しでも変化すれば、視覚的違和感となるわけです。「目」はさまざまな器官の中でも、ミクロな変化を視覚を通してもっとも捉えやすいのかもしれません。

前置きが長くなりましたが、瞬間を切り取って記録する写真だからこそ、止まっていても分かる生き物の美しさを感じられるようにする努力が必要だと思っています。
写真はシャッターを切れば簡単に撮ることができますが、“生きている”つやや透明感が伝わるように“美しく撮る”というのは、なかなか難しいし時間もかかってしまうのです。もちろん私はプロの写真家ではないので、 あまり専門的なことは分かりませんが・・・ やはり光の強さと当て方には気をつかっています。

私は学生時代の指導教官の方の方法を見よう見まねで使わせてもらっています。
背景に黒いゴム板を入れた水槽に生き物をうつし、マクロストロボで横から光を当てる方法です(写真1)。あとはカメラとストロボの設定を変えながらひたすらきれいに写るように撮っていくのですが、1種撮るだけでも、準備や片付けなどを含めるとあっという間に2時間近く経ってしまいます。撮っているうちに美しさに魅了されて、ここをもっとこう撮りたい!とどんどん深みにはまってしまうので、ある意味注意が必要です・・・


写真 1

水槽から移せない生き物はできるだけ横からストロボの光を当てて撮っていますが、動き回る生き物を撮るのはなかなか難しいので、まだまだ研究しなくてはいけません。

最近撮っていてやはりきれいだなと思ったのは、アオミノウミウシです(写真2)。
俯瞰した姿はもちろん美しいのですが、ややあおりの視点で見ると、水面が鏡のようになって鏡面反射していて、見事です(写真3)。水面に浮いているというより、張り付いているようにも見え、表面張力をうまく使っていることを想像させます。これは写真を撮っていて初めて気が付いた美しさでした。
写真を撮っているとこのような思いがけない発見があるので楽しいのです。


写真 2


写真 3

アオミノウミウシ特有の「青」も、光の当たり方で色合いが変わる構造色と思われますが、撮るたびに微妙に変化してしまい、うまく「アオミノウミウシの青」を出すのが難しい反面、頑張り甲斐もあります。
顔をアップにしてみると、腹側を上にしていることもよく分かります(写真4)。恥ずかしながら、私も今回写真を撮るまで逆向きだと思っていました。


写真 4

このように、知っているようで知らなかったさまざまな魅力を発見できることも、“生き物の写真を美しく撮ろうと努力すること”で得られる醍醐味だと感じています。

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