「生き物たちへ感謝」というと、高校の水泳部の恩師から卒業する時にいただいた言葉。「同じ水につかった仲間を大切に!」この言葉をいただいて、“えのすい”の水に触れたすべての生き物、人々へ感謝です。
さて来年、定年を迎える身としては、印象に残る生き物たちがあまりに多くて「誰」と特定できませんが、そんな中で最も担当歴が長いペンギンで、30年前私が担当して初めて孵化したフンボルトペンギン「サニー」とその両親との出会いは、ここまでの飼育技術の基盤となった出会いでした。
ペンギンを担当するまでに、ゴマフアザラシの出産、子育て、オキゴンドウやスナメリ、バンドウイルカの出産、子育てにも関わることができたことも大きな経験であり、これらがあったからこそ、ゴマフアザラシや鯨類より近くでじっくり観察ができたフンボルトペンギンの子育て経験は、私のえのすい歴の中で重要な経験となりました。
「サニー」の親である「ニイキ」(雌)と「ニイアカ」(雄)はおおらかで、近くで観察していても怒らない番(つがい)だったので、顔を突かれてもおかしくないくらい間近でよく観察させてもらえたのを覚えています。
2羽とも体が大きく、特に雌の「ニイキ」は体重が 5キロ近くあったと記憶しています。野生から来た雌の中でも一回り大きな雌ペンギンでした。魔法使いのおばあさんの鼻を連想させる、特徴のある長いくちばしが印象的でした。
雄の「ニイアカ」も当時の野生から来たペンギンたちの中では 1~ 2番に体が大きい雄で、縄張り争いでも負けるのは見たことがない強い雄でしたが、そんな雰囲気とは反対にとても子煩悩で、まだヒナが出て来ない卵のうちから卵にごにょごにょと話かけているようすを見て、ペンギンって卵に話しかけるんだ! と思い、当時の他の水族館動物園のペンギン飼育担当者へもその話をしたのですが、そんな行動は見たことないといわれてしまいました。
以前のトリーター日誌でもお伝えしたことがありますが、この 2羽は「サニー」が生まれるまでの 7年間で14個の卵を産卵して失敗していたので、「ニイアカ」の待ち遠しい気持ちが伝わるようでしたし、私自身も今度こそ孵化して欲しいと願っていました。
まだ、当時は卵が有精卵か無精卵かを調べるためにおこなう検卵もおこなっていなかったので、孵化間近になると、親ペンギンのお腹の下の卵をじーっと観察して孵化の兆候であるハシウチ(ヒナがくちばしで穴を開けて出て来る最初の小さい穴が開いた状態)が見られないかを確認していました。
私は最初ハシウチから孵化までは、ヒナの力だけで卵から出て来る最初の試練だと思っていたのですが、実は親ペンギンが少し手伝っているということもこの時初めて知りました。くちばしで穴を広げる手伝いをしてあげて、殻が割れるくらいになると上からヒナがつぶれない程度の圧をかけて卵を割るなんてことまでもしているようなのです。
すくすく育った「サニー」は体も大きく、まだ遺伝子検査で雌雄判定できる技術も確立していませんでしたので、雌雄判定の確定は 3~ 5歳頃、卵を産卵したかどうか、雌雄で交尾する際に雄側か雌側かの体位、鳴きかわしなどのディスプレイを観察して確定していたのですが、体が大きかったこともあり勝手に雄だと思っていて、「おにいちゃん」の愛称で呼んでいたのですが、後に遺伝子検査で「雌」であることがわかりました。
動物行動学で有名なコンラート・ローレンツ氏の研究に、鳥類が孵化して最初に見たものを親と認識する「刷り込み」という行動があります。本来親鳥だけに見せるという認識だったのですが、「サニー」は初めから人へとっても懐いていて、どこへいくにもついて来ようとするくらい人と行動するのが好きでした。のめりこむような観察が良かったのか、悪かったのか、この行動が刷り込みかどうかはわかりませんが、これだけ人へ執着する行動は「刷り込み」以外考えられませんでした。
当時一日の終業時に全員で見回るというルーティンがあったのですが、ここに「サニー」も参加していたくらいです。
「サニー」の成長はそれ以降生まれてくるすべてのペンギンたちの参考となりました。
そして「ニイキ」と「ニイアカ」の関係はそのまま私自身の夫婦関係を築く参考になり、2羽の子育ては私の子育てのバイブルになりました。
「サニー」はタイミングもなかったのですが、雄の番(つがい)相手には恵まれませんでしたので、自分の子どもはいません。ただ同じように番(つがい)相手のない雌のルビーと雌雌のペアになっていつも仲良く一緒にいます。この 2羽に他のペンギンが育てられなかった卵を預けてみると、うまく育てあげました。その後同じように本来の親が育てられない卵を「サニー」「ルビー」に育ててもらいました。今いる「フク」、「ナイス」、「ソラ」、「ポピー」はこの 2羽で育てています。
「サニー」の親は温厚だったのですが、子育ての時の「サニー」は怖くて手が出せないほど攻撃的なんです。もちろん母性がつよいからなんですけど、少しは親に似てほしかったと思うくらい餌をあげる際にも激しく突かれました。
子育てをしてから人へついていく行動も見られなくなったように思います。
最近の「サニー」は白内障を患い、腰が悪くなり、歩行が困難になりました。
私も最近白内障の手術をしました。数年前から膝痛に悩まされ、右肩も五十肩で難儀しています。
同じようにえのすいで育ってきて、同じように老いてきています。
あとどれくらい一緒にいられるかはわかりませんが、元気で長生きしてほしいと思っています。
「サニー」は最近足腰へのリハビリもはじめて、そこそこ調子が良さそうです。
“えのすい”では、部署や担当が変わると、なかなか以前担当した生き物の担当に帰ってくる機会は少ないのですが、幸運なことに私は飼育から離れて営業職を 7年して、再びペンギンの担当へ戻って来ることができ、その時ペンギンが古い親しい友と会うように出迎えてくれるという行動を身をもって体感することができました。
ペンギン担当に戻って最初にペンギン舎へ入った時、昔の名前で呼ぶと私に向かって来てくれたのです。
出会ってきたすべての生き物たちにそれぞれエピソードがありますが、今回は今年の 4月11日で30歳になる雌のフンボルトペンギン「サニー」との思い出を、「サニー」への感謝を込めてご紹介しました。